2014年11月29日

二本の道

我が家と街とを結ぶ道は、『二本』あります。


一本は、信号がほとんどなく、道の両側にも民家がない いわゆる『バイパス』です。


一本は、民家の間に道が通っていて、小学校や郵便局、銀行、商店、コンビニエンスストア―などが道なりにあります。


どちらも曲がりくねったような道ではありますが、バイパスのほうはそれでも70キロから80キロくらいのスピードで流れていきます。


この二本の道の間に我が家がありますから、どちらの道を選んでも『道に出るまでの時間にさほどの差はない』のですが、バイクを使う時にはバイパスではないほうの道(*旧道)を走ります。


バイパスのほうが車の流れが速いので、早く帰宅することが出来るのですが、しかし『旧道のほうが情緒がある』のですね。


バイパスは、途中にあまり民家などがないので、ドライバーは〔ずっと先の目的地へと向かう〕ことに
なります。 物を運ぶトラックなども多くこの道を走っています。

一方、旧道のほうは帰宅する車が多く、トラックなどはほとんど通りません。


旧道には《情緒がある》のですね。

どうしてかと言いますと、前を走っている車が時々右折や左折をして私の視界から消えていくのです。
それは、《我が家に帰っていく、家に入っていくicon25》からなのですね。

ドライバーの「ただいま~」 そして「おかえりなさ~い」の声が聞こえてきそうな気がするのです。

そんな光景を連想しながら、私の前から右折(左折)していく車を見送ります。


この二本の道。
行き着く所は『私の家』ではありますが、そこまでの情景、光景、風景が違うのですね。


道から出ている雰囲気も変わり、それを『波動の違い』とも称したりします。



いろいろな道があり、波動もいろいろある。

自分の好きな道を見つけ出し、休日などにはその道を通る・行く・走ることも癒しや気分転換に繋がることだと思います。





  


Posted by 井出 章彦 at 17:41

2014年11月21日

準備

オートバイで出かける時には、行動を起こしてからエンジンをかけてスタートするまでに10分以上は要します。


随所にプロテクターが付いたウェアーを上下ともに着ます。
ジーパンや皮ジャンなどの厚手のズボンや上着を着ます。
スキー靴にも似たライダーシューズを履きます。
グローブ(*手袋)をはめます。
ヘルメットを紐をしっかりと結びながら、かぶります。

ふらっと、薄手のTシャツ姿のままで、サンダルを履き、半ズボンで、手袋なしで・・・
という格好のままではオートバイに乗りません。

夏の日中などには、オートバイから降りると汗でTシャツがびっしょりになります。
しかし、服装という安全の面からの準備は決して怠りません。
すぐ近くのコンビニエンスストア―や郵便局、銀行などに行く場合でも同じです。しっかりと服装を整えます(*準備します)。


私個人だけかもしれませんが、このような《準備という行為》は、自身の精神力を高めたり、集中力を増したり、これから運転することへの意識を高めます。 そしてそれは《安全運転》に繋がります。
※これらの事柄は、服装だけではなくて、そのおもいと意識に作用するものがありますから、無事故で帰宅する・確実に帰宅するための大きな条件でもあると捉えています。
  もちろん、スピードの出し過ぎや無謀運転はいたしませんface06



そういえば、リンカーンの演説の中の言葉だったと思うのですが、「私に6時間で木を伐るような仕事を任せたとしたならば、斧を研ぐことに4時間を費やす」というような旨のことを話しています。

つまり、《それだけ準備は大事である》という意味なのでしょう。


私は、〔準備と蓄積〕をテーマに、あるいはモットーとして自身に掲げているのですが、根気が要ることでありますし、なかなか勇気も要ることですね。

         
       根気、勇気、継続、努力、地味、地道

結局はここに行き着くのです。


*** ここまで書いた時、私の良き友であり、ライバルである『幕之内一歩』を思い出しました!!

   註・実際に彼と会ったことはありません。コミックに登場する人物ですのでface07




  


Posted by 井出 章彦 at 16:52

2014年11月07日

緑色から茶色の世界へ

標高が七百メートルもある自然の中では、あたり一面が緑色の世界です。
地面には草、木々からは葉、そしてそこに加わるのが青い空と白い雲です。


今日は《立冬》ですが、地面の草たちは元気がなく、しおれてきています。そして色も緑ではなく茶色(*枯れる時になる色)になってきています。

木々の葉も落ち始め、地面には枯れ葉が積もるようになってきました。
それに伴い、木々も幹と枝だけの姿になりつつあります。

こうして、これまでに目に映る色は緑色だった世界が、木々の幹、枝、落ち葉(枯れ葉)がほとんどの茶色の世界へと変貌するわけです。


草が枯れるとともに、そこにいた虫たちの姿も見えなくなり、鳴き声が聴かれなくなっていきます。


昨夜は月がとても綺麗で、しかも暖かかったものですから、部屋の電気を全部消して、窓を開けて
月の明かりに照らされた中で鳴いている虫たちの声を楽しんでいました。
そして、虫たちにギターの音色を聴かせていました。

曲は、映画『もののけ姫』での三曲です。
『もののけ姫』のシーンの中で、月夜に照らされた山々の風景が出てくるのですが、昨夜の情景が
その場面と重なったものですから、『もののけ姫』の中で流れていた曲を弾いたという次第です。


この茶色の世界は、翌年の四月初めまで続きます。

現在 まだ、完全に茶色の世界にはなっていませんが、移り行く自然の姿をやや感傷的になって見ています。

ですが、次の萌える緑のために起きている自然の摂理の一環なのですね。


このことを〔循環〕と称します。

それを〔輪廻転生〕とも称することが出来ます。


自然界は常に動き続けています。 そこには『停止』というものは無いのですね。


「今日、これをやったから、明日はやらなくてもいいや・・・」
というおもいが湧いてくるのですが、『能力も才能にも乏しい』私には『続ける』という方法手段しかありません。


華々しさとは無縁の、地味・地道の中で今日も生きています。






  


Posted by 井出 章彦 at 13:33