2008年05月26日

不器用

中学生の時から私は、器械体操と空手を行なっていました。

どちらも『柔軟な身体』と『筋力』が求められる種目だと思います。

ところが、私の身体の関節はとても硬くて、踵(かかと)とお尻がつかないほどです。


また、空手にしても身体の大きい方が有利です。

ところが、身長は163センチでありますので、(しかも身体は硬いので)上段回し蹴りなどを行なっても『上段』ではなく『中段』にしかなりませんicon11

じょうだんじゃない!!」と思うのですが、仕方ありません。
   ↑ おやじギャグに気が付きましたか?face07


私の身体の機能はこのような状態ですので、器械体操の〔バク転〕や空手の〔回し蹴り〕などにしても《他の人たちの10倍以上の努力と時間を要した》ことは事実です。



≪器用なタイプではなかったことが幸している≫ということを昨日は強く感じました。

昨日は『エル東京セミナー』でしたが、その中で本格的に【立禅(りつぜん)】を取り入れました。
この立禅は、私が高校生の頃から知っていたものですが、〔武道〕 〔気功〕 の分野を含めて、法に基づく分野においても有用することが出来ると思って、今月から行ない始めているのです。


思い返しますと、私は不器用なるがために《他の人の何倍もの努力をし続けなければならない》ことと《実際に実践し続けなければならない》という人生でした。
またそこには《人一倍の工夫》も要する必要があったのだと述懐しています。

     それらが≪智恵≫になっていたことに気が付いたのです。


智恵とは《持っている知識を行ない続けることによって得られるもの》だと思っています。

不器用なるがゆえに《行ない続ける》ことだけは私にとりましては《必要不可欠》のものでした。
*今現在もそうです。

それら48年間において蓄積してきた努力が今、智恵となっているようなのです。

これらの智恵が現在のセミナーなどで生かされています。


天才型であったならば、何でも器用にこなしてしまうタイプであったならば、ここまで皆さんに様々な事柄をセミナーなどで『法の教えと照らし合わせて伝えることは出来なかった』であろうと感じました。


『不器用』 『ぶきっちょ』 『どんくさい』 それでいいではないですか。
その分、人一倍の『努力・工夫』をするわけですから、≪大きな肥やし≫が自分の中にもたらされるのですからねface02  


Posted by 井出 章彦 at 08:47

2008年05月20日

祈りの対象

「祈りとは 神仏の心と己の心の対話である。
同時に 感謝のおもいが祈りである」

この言葉はも高橋信次師によるものですが、この教えによりますと祈りとは「ああして欲しい。こうしてください」というものではないようですね。


初詣などで神社仏閣に行き、そこで掌を合わせて頭を下げる行為をしますが、ややもすると『祈りの行為』ではなくて、『自分の欲を満たして欲しいという自我我欲から発している行為』になってしまっているように思います。


先に天上の世界に還られた身内(*おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お姉さんなど)に「祈ることはどうなのでしょうか」との質問を先日の『大阪セミナー』の後に受けました。

ちょうどセミナーの数日前に五人の来客がありまして、その中の二人から「亡くなった私の母親は今
どうしていますか」という質問を受けていたばかりでした。

質問者からは一切の情報を聞かず、私から「あなたの母親はこういう体型をしていて、このような性格でしたね」と話していきます。
「その通りです」という言葉が相手から返ってくれば確かな事として話を続けていきます。


亡くなってからはまず、天上の世界の入り口にある《修養所》に行きます。
ここで、地上の世界で生きていた時の〔垢や埃を取り除く〕のです。

人によってはこの作業に時間のかかる場合もあります。

そうなりますと、『亡くなったからといってすぐに【仏様】に誰もがなる』というわけではないようです。


このような〔亡くなってから、天上の世界にある本来の自分の家に戻る為に努力をしている方たち〕も多くいらっしゃるわけです。

つまり、〔まだマイホームに帰宅途中であって、垢を取り除く作業をしている人〕に、地上の残された人たちが「ああして欲しい、こうして欲しい」と思い念ずる事柄は、えてして《彼らの邪魔をすることになる》ようなのです。


もちろん、しっかりと生前の垢や埃などを拭い去り、天上界にあるマイホームに還られた方たちは我々のことを案じたりもしますが。


ですので、≪祈りの対象≫は『自分自身のガイド』が一番好ましいと思います。

*ガイドというのは、自分自身の《魂の兄弟』のことです。
 詳細は拙著『心の眼Ⅱ』(パート2)をお読みくださいね。



天に還られた身内の方には、彼らには彼らの生活や修行、仕事などがありますので、
〔いつもあなたのことを見守り、善導し、そしていつも一緒にいらっしゃる存在であるガイドに≪祈りの対象を向ける≫こと〕
をセミナーなどで話しています。  


Posted by 井出 章彦 at 12:46

2008年05月15日

苦行…?

小学六年生の時から、≪とんぼ返り~空中回転≫に憧れて、すぐ近くの砂場に毎日行き、そして暗くなるまで練習を続けていました。

中学校に入ってからは≪バク転~後方宙返り≫に挑むようになり、やはり近くの畑の積み重ねられた藁(わら)の上で練習を続けました。

当時は新聞配達をしていましたので、その給料で学校の授業で使うのと同じ〔マット〕を購入し、家の中や庭で様々な技の練習に取り組みました。


中学三年生の四月に、校内で【体操部】を設立し、約三十名もの部員が集まりました。
その秋の学校祭では、全生徒・全職員・父兄たち約七百名もの人たちが集まった中での〔披露〕となりました。

ロンダートからのバク転の連続  ロンダートからの後方宙返り  前方宙返り  などです。

(私の体操部の顧問の先生がこの日、先生の後輩である日本体育大学の体操部の生徒たちを招き、この場で〔日体大体操部による模範演技〕というプログラムを入れました)


高校生の時の私は、ある流派の空手の全国規模の合宿に参加しました。
この合宿では相部屋に《真田広之氏》がおりました。

海岸での〔宙返り〕や、横になっている七人(*それ以上だったかも)を飛び越えての〔飛び蹴り〕を彼と一緒に行ないました。

*真田広之氏は翌年、『百地三太夫(ももちさんだゆう)』という名の映画でデビューしました。
『ラストサムライ』 『たそがれ清兵衛』なども彼の代表作です。


その後、私は空手の内弟子として四国の愛媛県に行くのですが、身体が細く、当時は体重が46キロしかありませんでした。

全国規模で行なわれた合宿の中での『ガリガリコンテスト』では、(不名誉な)二位、つまり《準優勝》をしてしまうわけです。


それから一念発起して、身体を鍛える~筋力をつけるトレーニングを開始しました。

※高校時代の三年間は、雨の日も雪の日も〔自転車通学〕をしていました。
片道六十分ですので、毎日二時間は自転車のペダルを漕ぎ続けていたことになります。
おかげで、〔お尻から大腿部にかけての筋肉〕はいまだに健在でっすicon22


筋力トレーニングは効果を為し、体重は62キロ・胸囲は103センチをそのまま今も保っています。



現在の運動内容ですが、腕立て・逆立ちしての腕立て・二つの椅子を使っての腕立て・腹筋・前蹴り
などという簡単なものです。
しかしそれでも、時々翌日にまで筋肉痛が残る場合もあります。


このような運動は、来客がある直前やあるいはセミナーの開始前に行なう時も多々あります。

なぜかと言いますと、私の場合ですが、このような運動を行なった後は≪精神がサッパリする≫からです。
そうなりますと、≪天上界の方たちからのメッセージが届きやすくもなる≫わけです。

今日も午後から五人の来客があるのですが、既に〔三十分間の前蹴り〕という私独自の運動を終えたところです。



人は(特に女性は)このような私の行なっている運動を『苦行(くぎょう)』と感じ取ることがあるかもしれませんが、実際の私の体験からすると≪通信や指導を受ける感覚が増す≫のですね。

筋力が弱い段階では〔辛さ〕の方が先行してしまうかもしれないですが、筋力が養われてきますと次は〔快感〕になっていきます。 (と思います)


決して修験者(しゅげんじゃ)が行なうような修行ではありませんし、「サイキックパワーが欲しい~」という考えもおもいもありません。
※むしろそうなりますと、裏側のものたちが協力することとなりますので、意識をその方向に向けないように気をつけています。



以上は全て私個人の体験によるものですが、もしかしたら私がセミナーの中で行なっているメニューが「辛いだけです」と感じられる人も中にはいらっしゃるかもしれません。
そのような方は無理せず、自分に合ったものをされてくださいね。

ただし、自分で努力し、工夫する姿勢は必要であろうとも思います。


 ≪効果や成果のないものを私は人に伝えたりはしない≫ をモットーとしているつもりでいます。

だから、行なってみて「損をする」ことは決してないものと捉えているのですが…face01

エルメンさんたちの反応を見ながら、私なりにこれからも〔創意工夫〕していきたいと思いますface02  


Posted by 井出 章彦 at 10:34

2008年05月09日

植物の精

   うわぁぁぁface08   む、む、むごいぃぃぃface10  むごすぎるぅぅぅface07

エルメンさんたちが園芸部活動を終えた後、深くそして萌えた緑の下でのお弁当。
そして、小鳥たちのさえずりや鶯の鳴き声。
暑い陽の光を微妙に遮りながら、やわらかな陽射しに変えてくれていた桜の木。

その桜の木を業者さんがナント「伐採している」のですぅぅぅicon11icon11icon11


エルハウスの前側の敷地は、どこかの工事関係の業者さんが所有しているようです。
資材が横に並べて置かれているだけで、時々その資材を取りに来ているだけの〔空き地〕に近いような土地です。

その桜の木ですが、業者さんの土地とエルハウスの敷地との境界線上にあるため、今までは「エルハウスの桜の木」のつもりでいたのですが、どうもそうではなかったようです。
先ほどから業者さんは、敷地内の草取り・草刈りを行なっていますが、まさか大きくりっぱな桜の木の伐採まで行なうとは思いませんでした。

この桜の木は何の支障も無かったのに、とっても残念です。


お隣の船井先生のお宅の玄関先までが「よ~く見える」状態にまで、美しい木々の緑たちが失われてしまいました。



エルハウスの庭には、樹齢が数十年は経っていると思われる松があります。
エルハウスに来た当時は、輝いているようで、とてもきれいでした。

エルハウスに正式に引っ越す前から、庭にだけはお邪魔させていただいていたのですが、私や妻の雅子やエルスタッフの由香さんで「松の木に老人がいるねぇ。ここに引っ越して来たならば、度々その【松の木老人】が部屋の中に遊びに訪ねて来るかもしれないね」という会話をしていました。

【松の木老人】とは、松の精のことです。
身長は20~30センチほどで、白く長いあごひげを垂らした老人なのです。


この【老人】が、昨年の夏を過ぎた頃から見えなくなりました。
それから気がつくと、松の色が茶色に変色していきます。
「松にも紅葉があるのかなぁ」なとど思っていました。

「枯れちゃったのではないの?」と言う人も何人かおりましたが、「来年の春先になれば分かるよね」という話をお互いにしていました。


今年の春になっても、松は茶色のままでした。
つまり、松は枯れてしまっていたのです。


植物には妖精、つまり〔精〕がいるというのは本当のことなのですね。
そして、その植物から精がいなくなった時が、《その植物の死》となるのでしょうか。

植物も生きているのです。


今、エルハウスには梅の実がた~くさん生っています。
玄関先にある桜の木には、オレンジ色のまだ小粒のサクランボがぎっしりと生っています。

植物も本当に私たち人間と同じく、生きている、生を持っているのです。



   うわぁ、桜の木の横の梅の木まで伐採しているicon08
他人の敷地内のこととは言っても、緑がなくなっていくのを見るのは実に忍びないことです。

この桜の木と梅の木は、私だけではなくて、近所の方々の≪癒しの景色≫となっていたことは間違いありません。
特に、エルハウスの右斜め後ろ側に位置しているお宅からすると、この大きな桜の木はちょうど目の前に映りますので、さぞかし残念なおもいをしているでしょう。


この大きな桜の木の下で、あたたかくやわらかな陽射しを浴びながら、何人ものエルメンさんたちがお弁当を食べ、仲間と語らい、談笑している姿を数日前に見たばかりでしたので、本当に残念でならないのです。
友人を失ってしまったような感覚が続いています。



形あるものを『物体物質』として見たり捉えたりするのではなく、『生き物』 『命あるもの』として捉えて欲しかったです。


時代は≪物質文明≫から≪霊的文明≫に移行していると言います。
それが浸透していけば、今日のような出来事はなかっただろうなと思いました。



昨年の12月にいただいたシクラメンも、一昨日まで元気に咲き続けていたのですが、昨夜から元気がなくて、しおれている状態になっています。
「う~ん、桜の木の伐採のことを波動でキャッチしていたのかなぁ」などとふと思ってしまいました。  


Posted by 井出 章彦 at 11:19

2008年05月06日

ビタミン 2

今日はゴールデンウィークの最終日です。
ここ熱海では朝から〔快晴〕ですicon01

この連休中はエル熱海セミナーがありましたが、セミナーが始まる三時間前から〔エル園芸部活動〕がありまして、下は六歳の男の子から上はこの三月で定年退職(祝)を迎えられた方までの十四名が、土の上で愉しい時間を過ごしていました。


朝の八時半まで雨が降っていたのですが、園芸部のエルメンたちが作業をする頃には晴天となり、
畑の中でお弁当を食べる時は《青空の中で、私たちのすぐ頭の上で鳴いているうぐいすの声》を聴きながらの素晴らしいひとときとなりました。


新潟から、滋賀から、愛知から、千葉から、東京から、畑作業に来ていただいていますので、感謝の気持ちで一杯です。(*えっ!? セミナーは二の次だって!?face07


この中に、写真を撮ることや温泉巡りが趣味だという『とっても渋い』二十八歳の若者がおります。
彼は〔エル ランニング部〕にも所属しており、自分の足を機械で測定してもらい、自分の足に合った特注のシューズを購入したというエピソードの持ち主です。
その彼が、自身の日記の中で『ランニングが趣味』というようなことを書いていました。
写真、アロマ、温泉、日本酒、ハイキング… およそランニングとは縁の無かったような彼が『生活の中にランニングを取り入れている』様子を知り、彼の≪意識改革≫ ≪自らを高めようとする意思≫
≪良いものや合ったものを取り入れていく工夫≫というような、『勇気・努力・智恵』を私なりにうかがい知りました。

このランニングが、彼にとっては大変に素晴らしいものとなっているようです。
今では彼にとっての≪ビタミン剤≫の一つなのでしょうね、きっとface05icon06


エルのセミナーの中では、法に基づく話(講義)だけではなく、ヒーリングや武道も行なっています。
先日のセミナーでは、初めて≪武道におけるところの秘伝face08≫を教えちゃいました。
下は六歳から上は七十代の女性までが実施し、とっても好評でしたので、これからのエルセミナーやエル合宿の中でもどんどんと組み入れていきますface09


〔身体を動かす〕ことが『心を、魂を休めることに大いに役立つ』ということをエルメンたちは体感・実感したわけですので、これからも≪心と身体の両方≫からの取り組みをエルは行ない続けていきます。

心に、身体に、精神に、魂に効く『あなたなりのicon12ビタミン剤icon12』を、どうぞ発見されてくださいねicon27icon28face01

***エルあきちゃんバージョン】が早く届かないかなぁface06*** (詳細は前回のブログの中です)  


Posted by 井出 章彦 at 09:46

2008年05月02日

ビタミン

木々の緑が日一日と濃くなっていく様子を間近で見ていますと、一枚一枚の葉っぱが大きく広がっていることを知りました。
これまでは葉っぱの数が多くなっていくことばかり考えていたのですが、葉っぱそのものが成長して大きくなっていたのですね。


『次元上昇』だとか『みろくの世』という言葉が使われていますが、〔高い波動を出す(高い心の境地に達している)人々〕が増えていくことだろうと捉えがちですが、〔数の多さではなくて、一人ひとりの境地を更に高めていく〕ことも、考慮する事柄なのだろうと思いました。


高い境地に至っている一人の人間は《とても大きな影響や感化を他の人々に与える》という観点から捉えてみると分かりやすいでしょう。

《一騎当千(いっきとうせん)》という言葉があります。
「千人力」というような意味の内容です。


このように、≪数の原理≫ ではなくて、≪高さの原理≫ でもって捉えてみた事柄を書きました。


世の中は、ゴールデンウィークに突入しています。
熱海の地にも、多くの方々が訪れて来ています。

気持ちの中に、心の中に、新緑の<癒しのパワー>を、どんどん吸収されていかれてくださいっicon01


私は今日、6台目となるオートバイを購入しちゃいました。
納車はもう少し先のことですが、自宅に届くのを楽しみにしているところです。

中古車ですが、250ccです。
名称に 【EL250A】が付いています。

私たちが三年前に発足した会の名称は【エル】です。
それは 【el】 【EL】 です。
また、私の名前は章彦(あきひこ) AKIHIKOです。

正にこのバイクは、『エルの私の為にある』ような感じがしているのでっすicon22

ということで、このバイクを 「エル あきちゃんバージョンicon12」と呼んでいるのですicon21


「こうしなければいけない」 「こうしなければならない」 というように、自分に厳しくしたり、制限という枠を設けていらっしゃる方たちも多いことでしょう。
その方向性というものが、正しい道の上に沿っているものならば『成果や効果』はもたらされますが、もし、あなたの沿っている道が間違った観念のものであるならば、残念ながらそれらはあなたに《苦》を生むだけでしょう。

ですので、私たちには《正しい基準》が必要なのです。

この正しさとは、《おもうこと》 と 《行なうこと》に対する基準です。


オートバイに乗って、緑の木々の中を走り、大自然の波動や風を全身で受けながら、魂に《ビタミン》を与えていきたいと思いますicon06  


Posted by 井出 章彦 at 21:10