2007年11月08日

クサビを打ち込み続ける

おかげさまで『希望の星』のブログを発信させていただいてから、一年が経ちます。
これまで『正法(しょうほう)』に基づいた様々な事柄を、書かせていただいてきました。

その文章も今回で≪101回目≫となります。


『正法」とは、≪神の心≫であり≪神のつくられた法≫のことです。

イエスキリストや釈迦が説き伝えられた教えが、この『正法』です。
*現在に残されている聖書や仏典とはまた違い、『当時の彼らが直接に説かれた教え』です。


ここでもう一度、正法に関しての原点の部分を記したいと思います。

正法は≪神のつくられた法≫ですから、《人類全員が学ぶべき教え》です。
いえ、≪神のつくられた法≫でありますから、《地球のみならず宇宙全体に通ずる教え》です。


このようなケースがあったとします。
「井出さんが私に冷たい。私には正法を学ぶ資格がないのだ。私は正法を学ぶことは出来ないのだ」という捉え方をしている人がいるとします。

残念ながらこの方は《法ではなくて、人についている》タイプですね。

「私は正法を学んでいっていいのか?」
「私には正法を学ぶ資格はないのか?」
というような質問は、
「教習所に行って、運転免許証を取るべきか?」
「卒業後は大学に進学しないで、就職すべきか?」
という質問とは訳が違うのです。

≪神の心≫を学ぶのは、『神の子の人間にすれば、当然のこと』ですね。
それに、≪神の心≫を学ぶのに、他人の意思は関係ないですよね。


『人につかず 法につけ』という教えがあります。
人についてしまいますと、『妄信・盲信・狂信・マインドコントロール』などの言葉がありますが、それらにつながりやすくなると私は思うのです。



私個人の考えで進めているのですが、『自力をモットー』としていますので、依存してくるようなタイプの方とは距離をとるようにしています。
そのために、メールなどでも〔連絡を取り合う〕くらいだけで、セッション的な内容となる場合には直接お会いして数時間の時を共有します。

それは、私は占い師・霊能者・チャネラーという立場でなく、『法を伝える』立場から接するからです。

*ですので、『占い師・霊能者・チャネラー』として私を捉えて接してくる方に対しては、相手がどのような方であったとしても、距離を置いています。



「他のチャネラーにはこうしましたから、井出さんにも同じように接しました…」という言葉を聞いた時、
「あぁ、この人は(表現は悪いですが)チャネラー歩きをしているのかな」と思います。
「チャネラー歩きとまではいかずとも、他人への『依存』につがっているのではないのかな」と感じたりします。
*このようなことを伝えますと、「私は違う!」と反論してきたり、言い訳をする人もいますがface07

なんやかんや言い訳したり、私の意見を求めるのではなく、(このことが既に、おもいの対象が私の方に向いていることが分かりますが) 『法に目を向け、法の学びに努められて欲しい』のです。


   ***高橋信次著のシリーズを、繰り返し読まれることをお勧めいたします***



「井出さんでなければダメなんです!」という発言は、「そうかそうか、よしよし」と、その言葉を受けた指導者は気分を良くする人も中にはいるかもしれませんが、私は違います。
「それこそが、人についている証拠なのですよ。井出章彦という一人の人間に依存しているのですよ」と、あらためて伝えさせていただきます。

「行きたくても、ペットがいるし、家族もあるので、なかなか熱海にまで行けない」という場合もありますが、それはまだ『時期が来ていない』 『機が熟していない』時も多々あります。



正法は人類に必要な教えではありますが、学び、理解し、実践に移すことはなかなか難しいことでもあります。
確かな記憶ではないのですが、≪神理を学ぶことは、駱駝が針の穴を通り抜けることよりも難しい≫というような言葉が聖書の中にあると思います。
神理が書かれている本を実際に手にしても、神理を説かれている人からの話を実際に聴いたとしても、それを自分のものにしていくことは難しいことです。

このような現実はたしかにあります。

だからこそ、≪人に寄りかかったり頼ったりするのではなくて、自分自身の力でもって行ない進めて欲しい≫のです。


≪自力、根気、勇気、継続、地味、地道≫
私(【エル】の会)は、これらを根底に据えて、正法の学びと実践に努めております。

同じことを繰り返し繰り返し行なうのです。
そこには派手さもなければ、すぐに劇的な変化が出ないことだってあります。
(スポーツ選手のトレーニングしている場面を想像されてみてくださいね)


このブログも101回目となりましたが、これまでの全ての記事を振り返り、そして読み返してみても
「いつも会頭ちゃまは終始一貫して同じことを言っているよね」と気がつくことと思います。


≪クサビを打ち込み続ける≫作業、行為、実践はそれこそ≪自力、根気、勇気、継続、地味、地道≫を要するものです。
その結果≪いぶし銀≫として、つまり≪本物≫として、あなたの中に確かに備わることでしょう。



Posted by 井出 章彦 at 10:59│Comments(0)
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